随想録のようなもの
私ものすごく飽きっぽいんです。
本を読むことが好きで自分でも小説を書こうと思ったことも多々あった(実際に何回か書き始めました)のですが、なんだか自分の書くものって味気なくて。
料理と一緒ですね。
だけどどっかのラブアンドピースなアーティストが、SNSよりfacetofaceって言っていたので。
面と向かってではないのですが自分の言葉があるうちに、と思って書いてみようかと。
記念すべき1回目に。
どうってことない私の小さなポリシーを。
小学校3.4年生くらいの時だったと思いますが、担任になった熱血国語教師が言ってたことでいくつか覚えてることがあります。
今覚えば体罰教師であまり好きではありませんでしたが、本を人一倍読んでいて感性がおかしくなっていた私を褒めてくれた人でもあったような。そんなことないような。
きれいな日本語、です。
そういうことに厳しかったです。
でも確かに日常にたくさん溢れてるんですよ。
おかしな日本語が。
気持ちかった、とか、ものすごく気持ち悪いんです。
でも海外で日本人が使うニュアンス間違いな英語でも雰囲気でわかってもらえるような、そんなものだと思います。
別にわかるんです。良いんですよ。
言葉の一つ一つに重きをおいて日々過ごすと、本当に生きにくいです(笑)
友達とか職場の仲間とか、その距離感の人の言葉に突っ込むことはありませんが、近い距離の人には言いたくなります。
だって毎日会話するわけですから。
そういう意味じゃない!ってお付き合いする人によく言われます。
でもそんな風に聞こえる、そんな風に使うこともできる言葉を今君は言ったんだよ、と言いたくなる。
末期です。
だけどだけど、素敵な言葉達を知った時の胸の奥がぞわっとする気持ち、共有したくなります。
人気映画『君の名は』にてフューチャーされてた、黄昏時。
誰そ彼れ時、とはよくいいましたよね!
ぴったりだと思いません??
あの昼間と夜の境目に、不思議なものが見える起きる。
痺れました。ビンビンです。
その他にもたくさんあるんです。
でもキリないのでそのうち。
なんだかんだ言いましたけど、別に自分以外の人がそういう事に気にかけなくても良いんです。
自分は最低限そういうことに敏感でいたいっていうだけで。
だけどそれは最低限なので心の底では思っています。
このブログがいつか誰かしらの目に止まって誰かしらが、気持ちかったって言葉を使わなくなると良いな。
強欲な生き物です人間て。
最後に、とどのつまり要するに。
私は絶対にすいませんと言いません。
すいませんの一言に品格を問われる気がしてます。
すいませんとたくさん言う方。
心の底から本当に
すみません。です。